1月30日 41巻と47巻がない

 部屋の中をスッキリさせたくなって色々と物を処分し始めた。本や服をとりあえず片付けようと思った。

 引っ越しをしてから一回も着ていない服(もう4年経っている)や全く運動をしないのに所有し続けているトレーニングウェアを処分する。

 この先も一回も着用しないと分かっているのにいざ捨てるとなると惜しい。売ってお金になるでもない品々なのに。というか、売ろうとしたら引き取り費用請求されてむしろマイナスになる可能性すらあるな。古布の回収の日に出そう。

 

 漫画の処分は悩む。「やっぱりフルスイング」はオークションサイトを見ると全巻セットで1万円以上の落札になっている。

 すごく魅力的な価格なのだが、いかんせんアカウント(?)がない上にアカウントを作って出品をして相手と取引をして…みたいなことを実行するのは嫌だな、と。越えなくてはならない心理的なハードルが高い。ちょっと無理。

 金額は下がるだろうけど買取業者に送ることにしよう。

 

 本棚から引っ張り出してみて初めてわかったことなんだけど、41巻と47巻がない。そのくせ15巻は2冊あった。単行本で読んでいたから歯抜けになるはずはないんだけど、はてさて。

 さーて、どうしたものか。悩む。

 41巻と47巻を買うべきだろうか。全巻セットとほぼ全巻セットでは買取金額がそれなりに違うはずだ。

 2冊を新品で買えば900円弱、中古で状態の良いものを買えば500円といったところだろうか。その出費を上回る査定額がつくだろうか?

 でも待てよ、全巻セットで1万円以上の値段をつけているのはオークションサイトだ。面倒なことを自分で引き受けた人の金額がそれってことは、面倒なことを他人に押し付けた人の金額はもっと安くなるはず。段ボールに詰めてあとはよろしく〜って送りつけるだけなら6000円〜7000円がいいとこだろう。

 そしたら買い揃えるのはなしだ。手放すために買い揃えるってのがそもそも意味わかんないし。腹の調子が悪い時にたくさん食いもん買わないもんな。

 でもバイトしてるとそこそこいるんだよな、店のトイレで思いっきりうんこした後に大量に食品買う客。僕の場合、思いっきりうんこした後に買い物かごに入れた食品って、「どうせこの後うんこになるだけなんだよな…」ってなんか虚しくなってやっぱ買うのやめようってなるんだけど。気にしない人は気にしないんだな。てかまあ直後に食うわけじゃないし、って話なのかな。ピントが合ってない例えから話は逸れましたが。

 とにかく、処分が目的である以上は換金はおまけと心得るべし、ってことだ。着払いで引き取ってくれてお金までくれるって言うんだから、全巻セットだったらもうちょい高値がついたとか考えなくていいの。

1月29日 自分の傘だけ拾った方の子

 帰省を終えて新宿に戻ってきた僕はチキンにかぶりついていた。子供の頃、クリスマスのときだけ買ってもらえた骨付きチキンのお店。毎日店先で客を出迎えているおじいさんが実はお偉いさんってパターンでしたっけ?

 賑わった店内で買い物をするこの男、実は…って演出パターンは経済番組でおなじみ。全然関係ないけど。

 楽しみにしていたお笑いライブが2時間後に控えていたので、腹ごしらえだけでなく時間をつぶすことも含めて入店していた。雨が降っていたのである程度長居できるようにしっかりと注文をした。

 

 ちょうどそのときはパサツキの多い部位を食べていた。よく言えばヘルシーな部位ってことなんだろうけど、油まみれの鶏肉を食べていてヘルシーもクソもねぇだろ、と思う。どうせなら一番油まみれの部位を食べてジューシーだな〜、とニコニコしたい。

 隣の席に女子高校生の2人組が座った。チキンを食べていることが急に恥ずかしくなった。雨の日の夕方に指と口の周りを油まみれにしながらチキンを食べている姿を(パサツキの多い部位であるとはいえ)見られたくないと思った。女子高校生2人組からしたら隣の席の僕がチキンを食べていようがなかろうが関係ないことだろうけど。

 恥ずかしいなぁ…と思いながら食べ続けた。

 

 食べ終えてウエットティッシュで指を拭いていると、テーブルの角に柄の部分を引っ掛けていた僕の傘が床に落ちた。隣の席の女子高校生の傘が滑り落ちたところに巻き込まれた。もらい事故。雨と(たぶん)油でベチョベチョの床に僕の傘は落下した。

 あっ…と思いながら見ていると、女子高校生は傘を拾い上げた。自分の傘の柄をテーブルの角に引っ掛け直すと、お喋りを再開。お互いにスマホに目を落としながらの耳だけコミュニケーション。

 10秒くらい待ってから僕は自分の傘を拾い上げた。「あ、すみません」と言った女子高校生は、友達とするお喋りと同様にスマホに目を落としたままだった。自分の傘の落下が隣の客(僕)の傘を巻き込んだことに気づいているから出た「あ、すみません」だとわかり、もう一度ムカついた。

 

 「あー、私、最近お笑い芸人になりたすぎるんだよね」自分の傘だけ拾った方の子はもう一人の子に言った。

 「えー、絶対なれるよ」と相槌が打たれる。

 自分の傘だけ拾い上げた方の子は「でもそんなに甘くないっしょ」と言った。それは甘くないと思っている人の言い方ではなかった。

 

 楽しみにしていたライブはこちらの勝手な期待を裏切らない素晴らしさだった。毒蝮さんのネタとJAYWALKのネタがすごく好きだった。

1月28日 2つ上の兄からも小遣いをもらう

 父は言った。兄の昨年の収入は総支給額で600万円ちょいだった、と。

 なぜそんなことを僕に伝えたのだろう。

 「どうしてお前はお兄ちゃんのように頑張ることができないんだ」と鉄拳制裁を行うためだろうか(一回も殴られたことないけど)。「息子さんはどんな仕事をしているんですか、と部下に聞かれた時のお父さんの気持ちを考えたことがあるのか?恥をかかせやがって、ちゃんと働けないなら出ていけ」と張り倒すためだろうか(脛は齧っているけど家は出ている)。

 狙いはわからないけれど、なんでかそういう話をされた。

 

 兄は大学院を卒業してから働き始めた。院卒の4年目。で、僕の2つ上なので、社会に出たタイミングは同じになった。

 ちょっとだけ思ったのは、もしも自分が正社員として働いていたら兄の稼ぎを聞かされて「えーー良いなー」なんてゆるく受け止めることができなかったかもしれない。自分が280万円の年収で兄が600万円だったら(というか4年目で280万円って割と恵まれている方じゃないか?)、フリーターの自分が受け止めるときには存在していなかった「深刻な何か」が生じて、うまく受け止められなかったかもしれない。

 同じ年度に就職活動をした兄から小遣いをもらい、「すぐ使っちゃうけどいいの?」と軽口を叩く。これは自分が同じように正社員として働いていたらできないことだろうなぁ。ま、正社員として働いていないからこそ貰えている小遣いなんだけど。

 

 兄が帰宅したのは深夜1時を過ぎた頃だった。翌日を有給にしたことを聞いていたので、その分片付けなくてはいけない仕事があったんだろうか…と思った。

 試しに聞いてみると「いや、今日の分の仕事を片付けただけ」とのこと。電車通勤の人は終電で帰れるけど、車通勤の人は終わらせてから帰ることになるのでこんなもんらしい。しかも、これでも半年前よりは落ち着いている、なんて言うではないか。有給もボーナスもちゃんとある会社だけど、いやー、激務だなー。

 これだけでも信じられないのに、「大学の時の研究室はもっとキツかったからそれよりはまだマシ。給料貰えるし」だなんて、理系の研究室どうなってんだよ。そういえば、バイト先の理系の大学生も同じこと言ってたっけ。先輩みんな「給料貰えるから激務でも全然マシ」って言いますよ、って。

 

 申し訳ないなと思う一方で、正直…期待している自分がいる。今回も貰えるのかな…って。

 今回も結果的には小遣いをもらうことができた。受け取る時の僕はあえて、あえてですよ、あえて。やりとりが重苦しくならないように努めて軽口を叩いたわけなんだけど、これって…兄からしたらどうなんだろうな。

 色々な感情やら事情やらで小遣いを渡したら、受け取った2つ下の弟が軽口を叩く。僕が兄だったら結構ムカついてるな(想像してみて、あら、びっくり)。自分にとって都合のいい解釈にならないようにあえて厳しめに(?)想像しているとはいえ、軽口を叩くのは正しい反応じゃないかも。

 むずいなー。小遣いを貰うってのも簡単なことじゃないのな。

1月27日 むしろ孝行という考え方

 父方の祖母の家に行った。こういう時はなんていうのが正解なんだろう。親戚の家?実家って言い方は正しくないよなぁ。

 父方の祖母の家は、つまり父の実家だ。ふと思ったんだけど僕と父が暮らしていたあの家(母の実家)は父にとっての何になるのだろう。

 「ここが僕の実家ですよ、お義母さん」と社会人として身につけた嘘の笑顔を提供しないといけないのなら、やれやれ、婿養子ってのは本当に肩身が狭い。「私はあなたのお義母さんじゃありませんよ」なんて言われようものなら「お母さーん」って実家に戻りたくもなるだろう。あ、やっぱそっちが実家なんじゃん。てことは、第二の実家…?

 まぁなんでもいいか。

 

 祖母宅に向かう途中で蕎麦屋に寄った。昔は祖母も一緒に外食をしていたのだけど(夕方着→夜ご飯)、加齢に伴うあれやこれやでいつからか昼飯を食べてから祖母宅に向かう流れになった。

 ここ数年は蕎麦屋が定番になっている。なかなかの繁盛店で12時になる頃には30台くらい停められる駐車場がいっぱいになっている。食事を終えて店を出る頃には、白線の引いてない場所に勝手に停める人も出るくらいだ。

 

 注文した鴨せいろを待つ20分(父は日替わりメニュー)、僕と父の間には「それなり」に(僕の基準では)会話があった。

 お互いに絞り出しながら繋げたパッチワークのような会話だったけど、「無言で気まずい」状態からの脱却を目指す薄毛の成人男性2人の努力は褒めて貰ってもいいくらいだった(誰に?)。

 2年前にハンバーグ屋に行ったときなんて、両親と僕と3人いて3人とも何一つ話題を絞り出せずに終わったんだから。あの時はしんどかったなぁ。ま、僕が今よりもっと扱い方の難しい状態(下手な触り方したらそのまま疎遠になりそうな危うさというか)だったってのが大きな理由なんだけど。

 

 祖母宅ではいつも通り会話をして過ごした。僕が自分のことを喋ろうとしないからなのか祖母が無類のお喋り好きだからなのか、祖母と僕の会話はいつも8:2くらいの比率になる。相槌でなんとか2を叩き出している感じ。

 基本的には「たぶん前回も聞いた」って話の再放送になるんだけど、こっちはこっちで「たぶん」だし、前回は前回でよくわかんないまま相槌を打っているので、「今回やっと理解できた」みたいなこともあって少し楽しい。年1年2程度しか会わないからそう思えるけど月1だったら「今回も適当に相槌打っとくか」ってなっちゃいそう。

 今回は始めて祖父との馴れ初めを聞いた。

 

 「おじいさんはこの辺にはいないような整った顔立ちの人でね」

 うん。

 「本当よく整った人だったから」

 うん。

 「私はそうでもないけどさ」

 うん(…、あっ)。

 

 90近いお婆さん相手だからって打ち間違えたらまずい相槌はある。今回の安易な「うん」がそれに該当する可能性ってある…よね。

 僕が見てわかるくらいの傷つき方はしていないけれど、果たして…。

 

 「そろそろ帰るよ」と父の声。「帰る前にコーヒーだけ買って来てもらってもいい?」と祖母。

 父はコーヒーを買いに出かけ、祖母はこたつの前を離れた。

 戻ってきた祖母の手にはポチ袋と口の開いた5個入りのクリームパン。春になれば26歳の私ですが、まだまだあげる側には回りませんよ。あげる楽しみを奪っちゃうのは果たして祖母孝行(そんな言葉ある?)と呼べるんですかねぇ。

 あげる楽しみを奪わないために(心苦しいんです!)この歳で「あえて」もらう側に居続けるということは、「むしろ」孝行になるんじゃないかというこの考え方、いかがなものでしょうか?

 「ありがとう」礼を言って素直に受け取った。

 

 さて、ここで問題になるのは口の開いた5個入りのクリームパン。すでに色々と差し出されたお菓子を食べていたのでお腹が空いていない(鴨せいろ食べてから来てるし)。

 正直いらないんだけど口を開けた状態で「これも食べな」と差し出されてしまうと簡単には断れない。「いつ開けられた口なのか」っていう結構大きな疑問が僕の頭の中に生じているんだけど、直前に小遣いをもらった人間が確かめることを許される真実ではないだろう。

 「お、じゃあ1つもらうね」と手に取ることにした。小遣いはもらうのにクリームパンはもらわない孫って、孫としての可愛さに欠けるじゃないですか?

 一口を小さくして食べる。会話をして次の一口までの時間を稼ぐ。クリームたっぷりのクリームパンをちまちま食べる。

 小遣いをもらっているから多少の無理はするけれど、喜んでもらえるほどの食べっぷりは見せられなかった。だって…賞味期限が10日過ぎているんですもの。10日過ぎたクリームパンって怖いじゃないですか。

 2つ目を勧められることに怯える僕は、父の帰りを切に願った。

1月26日 朝の景色

 新宿発の高速バスに乗って帰省をする。9時前の便に間に合えばギリギリでも構わないんだけど、出勤ラッシュの電車に乗り込んでもみくちゃにされるのは嫌だったので、できる限り早く新宿を目指すことにした。

 バイトを終えて部屋に戻ってきたのが6時20分。シャワーを浴びて着替えをして荷造りをして(前日にやっておかないのが性格というもの)急いで部屋を出る。

 7時を回ったばかりの車内はしっかりと混んでいて、座ることは叶わなかった。各駅停車なのに?この時間の各駅停車なのに?出勤ラッシュはもっと後のことだと思っていた僕は落ち込んだ。

 でも考えてみれば車内は混んでいて当然だった。この各駅停車は新宿着が7時40分。そこから会社に向かうってことは、乗っている人たちの始業時間は8時から8時30分ってことになる。ちっとも早出じゃない。ごくごく当たり前の時刻に電車に乗っている人たちってことになる。

 

 出社前のサラリーマンに挟まれながらカツ丼を食べる。バスの発車まではまだまだ時間があったので西口のあたりをぶらぶらすることにした。バイト終わりの空腹状態であっても結構腹に溜まった。寝起きの腹にかきこんだあの人達はこれから仕事をするのか…。10時くらいまではぼーっとしちゃって仕事にならなそうだな。

 時刻は8時10分。目に入るのは革靴を履いてスーツを着たサラリーマンばかり。同じように革靴+スーツの組み合わせなのに「あの人は仕事できそうだな」とか「あの人は窓際族だろうな」とか「あの人は会社で出世したことを社会全体で出世したと勘違いして偉そうに振る舞っているんだろうな」とか、それぞれ違って見える。そのへんは学生時代と変わらないみたいだ。同じ格好をしているはずなのに同じにはならない。大人になっても学生時代と変わらずか…。

 ふと思う。この景色の中に自分がいる可能性もあったんだな…。

 自分がいたかもしれない景色の中に自分の姿を想像してみる。革靴を履いて、スーツを着た自分を。

 …

 …

 …ちょっと、見当たらないや。この景色の中に自分の姿が見当たらない。この枠組の中に自分がいないということを突きつけられた。

 

 もっと大きな枠組み、社会全体の中になら自分の姿が見つけられる。だけど朝の景色の中、昼の社会の枠組みの中に自分はいない。夜勤が良いとか悪いとかって話じゃなくて。あくまでも個人の感覚として…って話なんだけど、なんというか、自分はずっとサブグラウンドにいる感じなんだよな。メインのグラウンドは強豪のサッカー部専用になっていて、ソフトボール部とか陸上部とか自分の学校のあんまり強くない部活動が2周り小さい方にひとまとめにされているような感覚。

 就職できなくてフリーターになって夜勤で働いていて…って僕の目線だから、必要以上に昼の世界を選ばれし者たちが集う枠組みとして捉えているのかもしれないけど。

 

 メイングラウンドを使っている人たちはどういう感覚なのだろう。革靴を履いてスーツを着ているってことは精神安定剤としてどれくらいの効力を発揮しているのだろう。

 僕は大学を卒業してからずっと劣等感を感じている。革靴とスーツを普通になれた人となれなかった人とを見分ける象徴のように捉えていた時期があるくらいだ。

 革靴を履いてスーツを着ている人たちは自分の仕事を「頑張っても頑張らなくても時給だしな…高校生にだってできる仕事だけどな…」と感じることがあるのだろうか。今よりもよくなるという期待を持って働いているのだろうか。

 

 そういえば、(劣等感からか)足元ばかりを見ていて確認し忘れた。革靴を履いてスーツを着た人たちの目はキラキラとしていたのだろうか。

 朝の景色の中に見当たらないのが僕の姿だけでないとすれば、僕はこの数年間何に悩まされてきたのかわからなくなってしまう。それはそれで勘弁してほしい。こっちが劣等感を抱くだけの待遇で働いていてくれないと困るんだよなぁ。それはそれで。

1月23日 直置き

 注文していたマットレスが届いた。ぎゅーっと圧縮されて、ぐりんと丸められて、ローリング丸太みたいな状態になっていた。

 今回はノンコイルのものを買ってみた。

 

 マットレス開封後24時間で元に戻る。同封されていた説明書にはそう書かれていた。

 24時間かけなきゃ元に戻らないってどれだけ強い圧を掛けられて無理やり丸められたんだろう。長いリハビリを経てもトップスピードを取り戻せないタイプの大怪我みたいでちょっと怖くなる。本人の悔しさが理解できるだけに、「怪我前はもっと…」なんてこと、ライバルチームの心ないファンにだって言えやしない。

 だけど案外30分くらいでしっかりと膨らんだ。「なんだすぐに元の大きさに戻ったじゃんか」と思った。元の大きさを把握していないのにその感想は概ね正しいだろうと思えた。

 

 買い替えにあたって「マットレス 直置き」で検索をかけていた。新しくするからには最初だけでも丁寧に扱おうと思ったのだ。

 調べ始めてすぐに判明した。ノンコイルのマットレスはコイル入りのマットレスよりも通気性が悪いらしい。そのためコイル入りよりも湿気が溜まりやすく、敷きっぱなしだとフローリングごとカビにやられてしまうらしい。

 防湿シートやすのこを使って湿気の吸収・逃げ道の用意が肝心なのだとか。部屋にベッドフレームを置く余裕がない人には必須のアイテムらしい。

 今まで使ってたマットレス敷きっぱなしで3年くらい経ってたけどよく平気だったな…。カビてはいなかったけど、処分にあたってひっくり返した時にちょっと呼吸止まった。大きめの石をひっくり返したときのうわうわうわーってのよりももっと酷くて、もしかしたら社会の裏側と同じくらい汚かった。いざとなったら裏切る人間って大して怖くないんだよ。端からルールの外側で生きている人間が怖いんだよ。

 

 調べを進めると、すのこを使っているからってカビない保証はないと判明した。頻度については情報提供者によってばらつきがあるけれど(1週間に1回とか、1ヶ月に1回とか)、すのこを買ったら人生変わっちゃいましたみたいな劇的な効果はないという点については共通していた。それよりも壁に立てかけるなりなんなりしてこまめに湿気を逃す方が効果があるよ、とのことだった。

 お金を払ってすのこ買っても結局ちょこちょこ手間がかかるくらいだったら、お金をかけずにこまめに立てかけを行うほうが安上がりだしいいのかも。

 面倒なやり方を選ぶなら最初に選ばなきゃ。楽な方法から始めて面倒なやり方に切り替えられるほど人間できちゃいないからなぁ。

1月22日 どうしたものか

 26日の帰省を前に土産の用意をした。兄貴が大学進学で実家を離れたときに自分が放った言葉を悔やむ。「帰省のときは手ぶらで帰ってくるなよ」と言わなければ(もちろん「お土産よろしく」の意味ですけどね)何も買わずに帰ることができていたと言うのに。

 金が惜しいってことでもないし、年2回しか帰らないし、わざわざ手ぶらで帰ろうって気持ちでもないんだけど、いかんせんレパートリーが少ない。とりあえず新宿のデパートの地下食品売り場に行くんだけど、全然選べない。どのデパートに行ってもこのテナント入ってるよなーって意味じゃなくて、買う側の僕にレパートリーが少ないのだ。

 

 とりあえず甘いもの、ってのが僕の中にある。稀にせんべいとかおかきとかを選ぶときもあるけれど、基本的には甘いものを選ぶことにしている。だけど何で甘いものを買おうとしているのかはよくわかっていない。

 家族みんなが甘いもの好きだから?

 考えてみると甘いもの好きが家族の中にいるのかどうかすらわからない。嫌いってことはないだろうけど、しょっぱい系と甘い系どっちがいいか、って聞かれて「絶対に甘い系」って答える人はいないだろうなと思った。

 反対に「絶対にしょっぱい系」と答える人もたぶんいない。でもそれって、僕が家族の好みを知らないからそう思うだけなんじゃないか、という気がしないでもない。

 知らないから「とりあえず甘いもの」って感覚なのかも。嫌いってことはないからまぁ大丈夫でしょ、って。そういう感じなのかも。で、「嫌いってことはない」ってのも家族の誰の好みを指しているのかわからない。

 

 最中とかどら焼きとかが最近は多かったから、今回は別のものにしよう。フロアをぐるぐる回り、チョコとか、クッキーとか、マドレーヌ・フィナンシエあたりの焼き菓子とか、個人的には気乗りしないけどマカロンなんかも種類が豊富だな…と把握をして、全部見送ることにした。

 僕や弟はこの辺りでいいけれど(兄とは顔を合わせるかわからないので考慮しないものとして。忙しいから)、祖母と両親はどうだろうかと考えると購入に踏み切れない。喜ばない可能性を考えてしまう。

 偏見かもしれないけど、年寄りは洋菓子より和菓子だろ、と。個々の好みを知らないだけに、どうしても偏見に引っ張られてしまう。

 僕にとっては祖母と両親だから「ばばあ」「おじさん」「おばさん」だけど、他人から見たら「ばばあ」「じじい」「ばばあ」の年寄り3人で、間に挟まれた「じじい」がひっくり返って「ばばあ」3人になってしまう。回覧板を持ってきた隣の家のばばあが玄関のドアを開けて入って来れば4人揃うから消滅で、そうすればお土産なんて必要ないんだけどなー。

 どうしたものか。とりあえずもう1周することにした。