10月25日 気が強い人

 気が強い人が嫌い。気が強い人は気が強いだけなのに、「自分は人として総合的に強い」みたいな振る舞いをするから嫌い。

 誤解しないでもらいたいんだけど、僕には「気が強い」ってことを否定したり馬鹿にしたりするつもりはない。

 僕が言いたいのは、あなたはただ気が強いってだけの人でしょ、ということだ。人間としてすべてにおいて強い人ではないですよね、と。

 

 「気が強い」っていうのは人としての強さを示す要素の一つでしかないと僕は思っている。

 パワプロで言うところのパワーA。で、ミートはFの三振男。ツーストライク追い込まれたあとはただでさえ小さいミートがさらに小さくなっちゃうプルヒッター。気が強いだけの人が接客業の人に時折見せる硬質な態度って…(あれ?本当に否定したり馬鹿にしたりする気持ちないのかな…)

 気の強さは要素として声が大きいから幅をきかせているけど、あくまでも要素の一つでしかないからそこは勘違いしないでくれよ、という気持ちが自分の中に常にある。気が強いのと芯が強いのは別物だしな…ってのも。

 

 僕は、人としての強さを総合力で評価しない世の中になることを恐れている。加えて、気が強いだけの人は総合力では大したことない、って結果になることをそこそこしっかりと望んでいる。

 

 他人を否定したくなるのは(←はっきりと、否定って…)自分を肯定したいと思っているからだ。多くの場合、根底にはこの気持がある。そんなもんが評価される世の中だったら自分は一生息苦しさを感じたままじゃないか、って。

 否定をしないとそうではない自分(しかも上手く行ってない)を認めてあげることができない。気が強いだけなら強くもなんともないと言わなければならないのは、それが自分に備わっていないからであり、気が弱い自分を肯定するためでもある。

 じゃあ自分に備わっているものはなんなのか。忍耐力だったり思慮深さだったりなら闘えるのか。

 押す方向の力はないけど引く方向の力ならあるのかと考えてみると、うーん…押す方向よりは備わっていそうだけどそっちはそっちでそれなりに…くらいになってしまう。

 だから総合力なのだ。単一要素でなく複数要素で総合的に。

 

 総合的には大したことない気が強いだけの人。総合的に見ればちょっとは闘えそうな気の弱い人。

 そういうことにしたい。そういうことであってほしい。自分に備わっていないものの評価はそれなりであってほしいのだ。