1月26日 朝の景色

 新宿発の高速バスに乗って帰省をする。9時前の便に間に合えばギリギリでも構わないんだけど、出勤ラッシュの電車に乗り込んでもみくちゃにされるのは嫌だったので、できる限り早く新宿を目指すことにした。

 バイトを終えて部屋に戻ってきたのが6時20分。シャワーを浴びて着替えをして荷造りをして(前日にやっておかないのが性格というもの)急いで部屋を出る。

 7時を回ったばかりの車内はしっかりと混んでいて、座ることは叶わなかった。各駅停車なのに?この時間の各駅停車なのに?出勤ラッシュはもっと後のことだと思っていた僕は落ち込んだ。

 でも考えてみれば車内は混んでいて当然だった。この各駅停車は新宿着が7時40分。そこから会社に向かうってことは、乗っている人たちの始業時間は8時から8時30分ってことになる。ちっとも早出じゃない。ごくごく当たり前の時刻に電車に乗っている人たちってことになる。

 

 出社前のサラリーマンに挟まれながらカツ丼を食べる。バスの発車まではまだまだ時間があったので西口のあたりをぶらぶらすることにした。バイト終わりの空腹状態であっても結構腹に溜まった。寝起きの腹にかきこんだあの人達はこれから仕事をするのか…。10時くらいまではぼーっとしちゃって仕事にならなそうだな。

 時刻は8時10分。目に入るのは革靴を履いてスーツを着たサラリーマンばかり。同じように革靴+スーツの組み合わせなのに「あの人は仕事できそうだな」とか「あの人は窓際族だろうな」とか「あの人は会社で出世したことを社会全体で出世したと勘違いして偉そうに振る舞っているんだろうな」とか、それぞれ違って見える。そのへんは学生時代と変わらないみたいだ。同じ格好をしているはずなのに同じにはならない。大人になっても学生時代と変わらずか…。

 ふと思う。この景色の中に自分がいる可能性もあったんだな…。

 自分がいたかもしれない景色の中に自分の姿を想像してみる。革靴を履いて、スーツを着た自分を。

 …

 …

 …ちょっと、見当たらないや。この景色の中に自分の姿が見当たらない。この枠組の中に自分がいないということを突きつけられた。

 

 もっと大きな枠組み、社会全体の中になら自分の姿が見つけられる。だけど朝の景色の中、昼の社会の枠組みの中に自分はいない。夜勤が良いとか悪いとかって話じゃなくて。あくまでも個人の感覚として…って話なんだけど、なんというか、自分はずっとサブグラウンドにいる感じなんだよな。メインのグラウンドは強豪のサッカー部専用になっていて、ソフトボール部とか陸上部とか自分の学校のあんまり強くない部活動が2周り小さい方にひとまとめにされているような感覚。

 就職できなくてフリーターになって夜勤で働いていて…って僕の目線だから、必要以上に昼の世界を選ばれし者たちが集う枠組みとして捉えているのかもしれないけど。

 

 メイングラウンドを使っている人たちはどういう感覚なのだろう。革靴を履いてスーツを着ているってことは精神安定剤としてどれくらいの効力を発揮しているのだろう。

 僕は大学を卒業してからずっと劣等感を感じている。革靴とスーツを普通になれた人となれなかった人とを見分ける象徴のように捉えていた時期があるくらいだ。

 革靴を履いてスーツを着ている人たちは自分の仕事を「頑張っても頑張らなくても時給だしな…高校生にだってできる仕事だけどな…」と感じることがあるのだろうか。今よりもよくなるという期待を持って働いているのだろうか。

 

 そういえば、(劣等感からか)足元ばかりを見ていて確認し忘れた。革靴を履いてスーツを着た人たちの目はキラキラとしていたのだろうか。

 朝の景色の中に見当たらないのが僕の姿だけでないとすれば、僕はこの数年間何に悩まされてきたのかわからなくなってしまう。それはそれで勘弁してほしい。こっちが劣等感を抱くだけの待遇で働いていてくれないと困るんだよなぁ。それはそれで。