1月27日 むしろ孝行という考え方

 父方の祖母の家に行った。こういう時はなんていうのが正解なんだろう。親戚の家?実家って言い方は正しくないよなぁ。

 父方の祖母の家は、つまり父の実家だ。ふと思ったんだけど僕と父が暮らしていたあの家(母の実家)は父にとっての何になるのだろう。

 「ここが僕の実家ですよ、お義母さん」と社会人として身につけた嘘の笑顔を提供しないといけないのなら、やれやれ、婿養子ってのは本当に肩身が狭い。「私はあなたのお義母さんじゃありませんよ」なんて言われようものなら「お母さーん」って実家に戻りたくもなるだろう。あ、やっぱそっちが実家なんじゃん。てことは、第二の実家…?

 まぁなんでもいいか。

 

 祖母宅に向かう途中で蕎麦屋に寄った。昔は祖母も一緒に外食をしていたのだけど(夕方着→夜ご飯)、加齢に伴うあれやこれやでいつからか昼飯を食べてから祖母宅に向かう流れになった。

 ここ数年は蕎麦屋が定番になっている。なかなかの繁盛店で12時になる頃には30台くらい停められる駐車場がいっぱいになっている。食事を終えて店を出る頃には、白線の引いてない場所に勝手に停める人も出るくらいだ。

 

 注文した鴨せいろを待つ20分(父は日替わりメニュー)、僕と父の間には「それなり」に(僕の基準では)会話があった。

 お互いに絞り出しながら繋げたパッチワークのような会話だったけど、「無言で気まずい」状態からの脱却を目指す薄毛の成人男性2人の努力は褒めて貰ってもいいくらいだった(誰に?)。

 2年前にハンバーグ屋に行ったときなんて、両親と僕と3人いて3人とも何一つ話題を絞り出せずに終わったんだから。あの時はしんどかったなぁ。ま、僕が今よりもっと扱い方の難しい状態(下手な触り方したらそのまま疎遠になりそうな危うさというか)だったってのが大きな理由なんだけど。

 

 祖母宅ではいつも通り会話をして過ごした。僕が自分のことを喋ろうとしないからなのか祖母が無類のお喋り好きだからなのか、祖母と僕の会話はいつも8:2くらいの比率になる。相槌でなんとか2を叩き出している感じ。

 基本的には「たぶん前回も聞いた」って話の再放送になるんだけど、こっちはこっちで「たぶん」だし、前回は前回でよくわかんないまま相槌を打っているので、「今回やっと理解できた」みたいなこともあって少し楽しい。年1年2程度しか会わないからそう思えるけど月1だったら「今回も適当に相槌打っとくか」ってなっちゃいそう。

 今回は始めて祖父との馴れ初めを聞いた。

 

 「おじいさんはこの辺にはいないような整った顔立ちの人でね」

 うん。

 「本当よく整った人だったから」

 うん。

 「私はそうでもないけどさ」

 うん(…、あっ)。

 

 90近いお婆さん相手だからって打ち間違えたらまずい相槌はある。今回の安易な「うん」がそれに該当する可能性ってある…よね。

 僕が見てわかるくらいの傷つき方はしていないけれど、果たして…。

 

 「そろそろ帰るよ」と父の声。「帰る前にコーヒーだけ買って来てもらってもいい?」と祖母。

 父はコーヒーを買いに出かけ、祖母はこたつの前を離れた。

 戻ってきた祖母の手にはポチ袋と口の開いた5個入りのクリームパン。春になれば26歳の私ですが、まだまだあげる側には回りませんよ。あげる楽しみを奪っちゃうのは果たして祖母孝行(そんな言葉ある?)と呼べるんですかねぇ。

 あげる楽しみを奪わないために(心苦しいんです!)この歳で「あえて」もらう側に居続けるということは、「むしろ」孝行になるんじゃないかというこの考え方、いかがなものでしょうか?

 「ありがとう」礼を言って素直に受け取った。

 

 さて、ここで問題になるのは口の開いた5個入りのクリームパン。すでに色々と差し出されたお菓子を食べていたのでお腹が空いていない(鴨せいろ食べてから来てるし)。

 正直いらないんだけど口を開けた状態で「これも食べな」と差し出されてしまうと簡単には断れない。「いつ開けられた口なのか」っていう結構大きな疑問が僕の頭の中に生じているんだけど、直前に小遣いをもらった人間が確かめることを許される真実ではないだろう。

 「お、じゃあ1つもらうね」と手に取ることにした。小遣いはもらうのにクリームパンはもらわない孫って、孫としての可愛さに欠けるじゃないですか?

 一口を小さくして食べる。会話をして次の一口までの時間を稼ぐ。クリームたっぷりのクリームパンをちまちま食べる。

 小遣いをもらっているから多少の無理はするけれど、喜んでもらえるほどの食べっぷりは見せられなかった。だって…賞味期限が10日過ぎているんですもの。10日過ぎたクリームパンって怖いじゃないですか。

 2つ目を勧められることに怯える僕は、父の帰りを切に願った。